キリスト渡来説について
青森に伝わるイエス・キリスト渡来説
キリストに関する話は日本各地にありますが今回は特に有名な青森県のキリストの墓をメインに記事を書こうと思います
【青森県のキリストの墓伝説】
『竹内文書』で知られる竹内巨麿(皇祖皇太神宮天津教の開祖)らが1935年8月に戸来村(当時)を訪れ、笹に埋もれていた塚をキリストの墓と主張し、伝説が生まれた。
竹内文書は、ゴルゴタの丘にて磔刑に処されたのは実はキリストの弟イスキリで、本物のキリストは密かに日本に逃れ、天寿を全うして亡くなったという説を唱える(実際は戸来村の農民の墓と考えられている)。
この主張は、観光客誘致など地域興しのために村民ら関係者にある程度受け入れられている(キリストにちなんだ上記の特産品・土産物はその表れである)。
塚には十字架が建てられ、6月の第一日曜日に「キリスト祭」が開かれているが、取り仕切るのは村で最も由緒がある三嶽(みたけ)神社の宮司である。
塚近くには竹内文書写本や「キリストの遺書」(資料館解説によれば1936年考古学者の一団により発見)など関連資料を展示する資料館「キリストの里伝承館」が建つ。
2004年(平成16年)6月6日の第41回キリスト祭にはイスラエル駐日大使が出席し、エルサレム・ストーン(エルサレム市街の建築物外壁に使われる白い石灰岩)を寄贈した。
Wikipediaより引用
時系列はこんな感じみたいです
そして伝説の内容としては下記の通りです
新郷村戸来(へらい)地区(旧戸来村)には上記の経緯から、キリストとその弟イスキリの墓とされた墳墓が二つある。
キリストにまつわる仮説と、村の風習が結び付けられて語られるようになった。
例えば、「へらい」の名は「ヘブライ」が訛ったものといわれており、これは漫画『金田一少年の事件簿』の「異人館村殺人事件」篇でも主人公の金田一一によって軽く触れられている。
また、村で行われるキリスト祭で行われる盆踊りナニャドヤラで唱えられる意味不詳とされる文句「ナニャドヤラ、ナニャドナサレテ、ナニャドヤラ」は古代ヘブライ語で「汝の聖名を褒め称えん、汝に毛人を掃蕩して、汝の聖名を褒め称えん」という意味だとされる。
また、ユダヤの紋章(ダビデの星)と似た家紋を持つ旧家があり(旧家沢口家)、生まれた子供を初めて屋外に出す時、額に消し炭で十字を書いたり、足が痺れた時は人差し指につばをたっぷり付けて足に十字を三回書く。
Wikipediaより引用
と、ありますが僕の意見としては地名の読みは偶然で伝説の内容は地域の地域独自の信仰を元にする後付けのデタラメだと思います
第一にイエス・キリストが青森県にいて墓が青森県にある話が広まった1935年までキリスト渡来説は知られていなかった訳でそれは去年のハロウィンの時のケルト民族の話でも触れましたがおかしな話です
ダビデの星の家紋や子供に炭で十字を書く伝統は地域独自の古来からの信仰である可能性はありますがソレがキリスト由来の物である事は無いと思います
【地理的な考察】
日ユ同祖論と合わせて考えてみても日本の特に東北地方にキリストの墓があるのは余計に信憑性が低いのでは無いか?と考えています
もしユダヤ人が日本に来ていて天皇家などに大きな影響力を持っていたとしたらヤマト朝廷が置かれていた場所より遠い東北地方にキリストの墓があることに疑問があります
わざわざ天皇と関係が深いユダヤ人やキリストの墓を青森に作るでしょうか?
青森にキリストの墓があるのはキリストはヤマト政権と敵対していた事になり天皇家とユダヤが深い関わりがと言う説が成り立たなくなると思います
そう言った観点から見ても後付けのデタラメだと僕は思いますね
もしキリストが生きていて日本に落ち延びていたらそもそものキリスト教の根本を揺るがす大事件ですがダ・ヴィンチ・コードの件と違いバチカンやカトリック教会やその他キリスト教関連組織があまり表だって批判しないのも信憑性の低さがあるからではないか?とも思いますね
もし大陸から民族が日本に渡来したとしても東北方面の日本に海を渡り流れ着く可能性のある高度な技術を持つ民族で僕の頭に浮かんだのは分布図的にユダヤ人ではなく高度な鉄の製錬技術を持っていたスキタイ人ですね(ソレも無いねw)
今回はキリスト渡来説に関しての記事でした
読んで頂きありがとうございました
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